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東京地方裁判所 平成2年(ワ)14637号 判決

原告

葵ビル株式会社

右代表者代表取締役

矢部均

右訴訟代理人弁護士

福田耕治

被告

工藤芳子こと

本田京子

右訴訟代理人弁護士

畠山正誠

主文

一  原告と被告との間において、原告が被告に賃貸している別紙物件目録記載の建物の賃料は、平成二年七月一日以降月額金一〇万三三〇〇円であることを確認する。

二  被告は原告に対し、平成二年七月一日から同月三一日まで月額金三万二九九九円、同年八月一日から平成四年二月三日まで月額金一万六四〇九円の割合による金員を支払え。

三  原告のその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は、これを二分し、その一を原告の負担としその余を被告の負担とする。

事実及び理由

第一請求

原告らと被告との間において、原告らが被告に賃貸している別紙物件目録記載の建物の賃料は、平成二年七月一日以降月額金一二万五〇〇〇円であることを確認し、被告は原告に対し、右同日以降平成四年二月三日まで月額金一二万五〇〇〇円の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

一本件は、老朽化した建物を新たに取得した原告が改修工事を施した上従前からの賃借人である被告に対し、建物の賃料が不相当になったとして増額の意思表示をし、その確認を求めた事案である。

二争いのない事実

1  被告は、従前神奈川興業株式会社(以下「訴外会社」という。)から別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という。)を賃借していた。

2  原告は平成元年四月四日、訴外会社から本件建物の持分一〇分の七を取得し、本件建物の賃貸人の地位を訴外会社から承継し、更に同二年四月一〇日、訴外会社から同持分一〇分の一を取得した葵興業株式会社から右持分を取得した(〈書証番号略〉及び弁論の全趣旨)。

3  本件建物を含むビル全体(以下「本件ビル」という。)は、昭和四四年に建築されたものである(〈書証番号略〉)が、原告は、平成元年から平成二年にかけて、本件ビルの改装工事を行った。

4  被告は、訴外会社から本件ビルの五階C号室24.29平方メートル(7.36坪、以下「旧賃借室」という。)を賃料月額金六万六〇〇〇円、管理費用月額金八〇〇〇円で賃借し、昭和六三年五月分ころから供託している。

5  原告の前記改装工事は、サッシ窓の全面的な取替えなどの工事を含むもので、賃借人が居住したままで工事を行うことが困難であったため、原告と被告とは、右工事のため旧賃借室から先に改修工事をする本件建物に被告が移転する旨を合意した。

6  被告は、平成元年一二月末ないし平成二年一月ころに本件建物に移転したが、その際、本件建物の賃料は、従前どおり坪当り月額金八九六七円とした。本件建物の坪数を7.84坪とすると、月額賃料は金七万三〇一円となる。また、そのころ行われたエレベーターの全面改修工事のため、迷惑料として(〈書証番号略〉)原告から被告に金二〇万円が支払われた。

7  原告は被告に対し、書面により本件建物の賃料を平成二年七月一日から月額金一二万五〇〇〇円に増額する旨の意思表示をし、右書面は、平成二年六月三日ころ、被告に到達した。

三本件の争点

本件賃貸借における適正賃料額

第三当裁判所の判断

一本件鑑定の概要

本件鑑定の結果である鑑定評価書によれば、本件建物の平成二年七月一日時点の適正継続支払賃料は月額金一〇万三三〇〇円(一平方メートル当たり三九八八円)と評価されていることが認められ、その概要は次のとおりである。

まず、鑑定人は、裁判所が選任した両当事者に利害関係を持たない不動産鑑定士であり、現地を確認の上、近隣地域の概況、対象不動産の状況を把握し、前記争いのない事実を踏まえ、昭和五七年五月一六日の当初の契約から賃料の推移を確認した上、通常、継続賃料の鑑定に採用される差額配分法、利回り法、スライド法を評価の基礎として考慮しており、その結果、差額配分法による賃料は月額金一一万四一〇〇円(一平方メートル当たり四四〇五円)、利回り法による賃料は月額金一〇万七三〇〇円(一平方メートル当たり四一四二円)、スライド法による賃料は月額金九万二八〇〇円(一平方メートル当たり三五八三円となることを各認定し、本件の諸般の事情を総合考慮して、各試算賃料の中庸値を採用することが妥当であるとして月額実質賃料としては一〇万四七〇〇円(一平方メートル当たり四〇四二円)が適正であると評価し、これから敷金の運用益を控除して、適正な月額支払賃料は金一〇万三三〇〇円であるとしている。これは、従前の賃料(昭和六一年五月以降坪当たり月額金八九六七円であり、本件建物については月額金七万三〇一円)と比べ、合意後約四年間で実質46.9パーセント(年間約11.7パーセント)の増加となっている。

二本件の特殊事情

ところで、原告は、本件ビルの改装工事を実施するため、被告に対し旧賃借室を明け渡すよう求め、平成元年一一月三〇日、原告と被告との間で、原告と被告との間に旧賃借室について賃貸借契約が存在していること、原告は本件建物の改装工事を実施し、工事完成後、被告は旧賃借室を明渡し、原告の費用で本件建物に移転すること、原告は被告が本件建物に移転し本件ビルの改装工事に協力したことに対する対価として、本件建物の賃料を、転居日以降平成二年六月末日まで月額金七万三〇一円(旧賃借室の現行賃料坪単価金八九六七円を基準として本件建物の賃貸面積7.84坪を乗じた額)とすることなどを確認した(〈書証番号略〉)上で、旧賃借室の賃貸借契約を同一性を有するものとして本件建物を借り受けたことが認められる。

そこで、問題となるのは、原告が本件ビルの改装工事のために費やした費用を本件建物の賃料算定に当たってどの程度考慮すべきかとの点である。被告は本件建物が改装されることを前提として移転していること、それにもかかわらず本件建物の賃料は約半年の間は従前の坪単価と同額とされたこと、その趣旨は右金額が改装後の本件建物の適正資料と考えられたからではなく、本件ビルの改装工事に被告が協力したことの対価としての意義を有していることなどから考えると、平成二年七月以降は、改めて本件建物の適正賃料による合意が予定されていたものと推測される。そうだとすれば、本件改装工事に要した費用は原則として本件ビルの価格及び必要諸経費の算定に当たって考慮されるべきであると考えられる。

なお、確かに本件ビルの改装のために原告の申し出により移転することになった経緯からすると、原告の都合による改装ということができ、和室や洋室の差異や間仕切りといった使い易さの面において被告の希望に適合するものではなかったこと(〈書証番号略〉)が認められるのであるが、翻って考えてみると、被告としては旧賃借室を明け渡す義務はなく、また、移転先についても、和洋の別、間仕切りなどについてあらかじめ本件建物の状況を確認し、条件を出すことも可能であったし、平成二年七月以降の賃料についてもある程度合意をした上で移転するか否かを決めることも可能であったと認められるものであり、特にそうした条件を出すことなく前記のとおりの合意をしたとすると、貸主である原告としては、改装工事の費用負担を前提として、約定期限後の適正賃料額を支払ってもらえると考えるのが通常であり、外に特段の事情がない限り、合意の解釈としても平成二年七月以降の賃料は改装工事を前提として適正な賃料額とすることが予定されていたと解さざるを得ないのであり、以上のような被告側の諸事情は、当然賃貸借の経緯としては考慮されるとしても、本件改装工事に要した費用を建物価格又は必要諸経費の算定の範囲外に置く当然の理由とはなり得ないと言わねばならない。

三本件鑑定内容と改装費との関係の検討

本件鑑定の結果によれば、前記概要に記載したとおり、鑑定に当たっては差額配分法、利回り法、スライド法の三つの方法が考慮されているので、以下それぞれの手法による試算賃料額について本件改装費がどのような影響を与えているかについて検討する。

1  差額配分法による賃料について

差額配分法による賃料は、正常実質賃料と実際実質賃料との差額部分について貸主に帰属すべき部分を判定して実際実質賃料に加算又は減額して導くものであるところ、本鑑定では、正常実質賃料を積算賃料(月額二三万六五〇〇円)と比準賃料(月額一九万八七〇〇円)との二つの基礎から算定しており、そのうち改装費が影響を与えるのは積算賃料である。実際実質賃料は改装費の影響を受けない。そこで積算賃料についてみると、積算賃料は本件ビル全体の土地及び建物価格(基礎価格)に一定の期待利回りを乗じて純賃料を算定し、これに必要諸経費を加えて求めるもので、これに更に階層別・位置別効用比率に基づく配分率を乗じることにより本件建物の積算賃料を求めることができる。鑑定評価書別紙Ⅰによれば、建物価格の算定に当たり改装費一億二八八八万九五〇〇円が考慮されている。そこで仮に右改装費がないものとして計算してみると、基礎価格が四六億一一八一円となり、これに期待利回り0.0317を乗じた純賃料は約一億四六一九万円となる。必要諸経費については鑑定評価書別紙Ⅱ記載の価格時点の必要諸経費のうちの(1)減価償却費の(設備)欄の金額が影響を受けるので、これも改装費がないものとして計算すると約六二万円となり、その結果、改装費がある場合と比較すると、約六二五万円の減額となるから必要諸経費全体の約二四八八万円から右減額分を控除すると約一八六三万円となる。したがって改装費を考慮しない場合の本件ビル全体の積算賃料は右の純賃料と必要諸経費の合計額である約一億六四八二万円となるから、本件建物の積算賃料は、これに配分率0.0163を乗じた金額であり、約二六八万円となる。これを月額に換算すると約二二万三〇〇〇円である。

すなわち本件改装費を考慮しなかった場合、積算賃料は、月額で約一万三〇〇〇円ほど低額になる。しかし、鑑定では、鑑定評価書記載の理由のとおり現実の市場を反映した比準賃料を標準とし、正常実質賃料を月額一九万九〇〇〇円と評定しており、したがって、差額配分法による試算賃料額には本件改装費はほとんど影響を与えていないということができる。

2  利回り法について

利回り法による試算は、前回改訂時における基礎価格に対する純賃料利回りを求め、これを価格時点の基礎価格に乗じて純賃料相当額を出し、これに必要諸経費等を加算して行うのであるが、改装費の存否は前回改訂時の利回りには影響を与えないから、鑑定評価書一三頁記載のとおり、利回りは0.0115となる。前記のとおり改装費がない場合の本件ビル全体の基礎価格は四六億一一八一万円であり配分率は0.0163であるから本件建物の価格時点の基礎価格は約七五一七万円となる。また同じく本件ビルの価格時点の必要諸経費等は約一八六三万円であるから本件建物の必要諸経費等はそのうち約三〇万三六〇〇円となる。したがって利回り法による月額の試算価格は約九万七三〇〇円となる。そうすると、本件改装費を全額考慮した場合の試算価格が一〇万七三〇〇円であるから、これを考慮しなかった場合、利回り法によれば約一万円程度低額となることが認められる。

3  スライド法について

スライド法は、前回改訂時から価格時点までの変動率を改訂時の純賃料に乗じて必要諸経費等を加算して求める試算賃料であるが、前回改訂時の純賃料及び変動率は改装費の影響を受けておらず、結局、影響を受けるのは必要諸経費等のみである。したがって、最終合意賃料約六一万六〇〇〇円に変動率一一五パーセントを乗じて、これに前記のとおりの必要経費等約三〇万三六〇〇円を加えて月額を算出すると、約八万四三〇〇円となる。そうすると、本件改装費を全額考慮した場合の試算価格が九万二八〇〇円であるから、これを考慮しなかった場合、スライド法によれば約八五〇〇円程度低額となることが認められる。

4  三つの手法による試算賃料の調整について

以上のとおり、改装費を考慮しなかった場合、差額配分法による賃料は鑑定結果と同じ月額金一一万四一〇〇円、利回り法による賃料は鑑定結果より約一万円低額の月額金九万七三〇〇円、スライド法による賃料は鑑定結果より約八五〇〇円低額の月額金八万四三〇〇円となる。そして鑑定評価書と同様三者の加重平均を求めると、約九万八五〇〇円となり、改装費を全額考慮した場合と比べ、改訂月額実質賃料は約六二〇〇円安くなる。したがって、敷金の運用益を控除すると約九万七一〇〇円となり、これが概ね改装費を考慮しなかった場合の賃料額となる。本件建物は7.84坪である(〈書証番号略〉)から、坪単価では一万二三八五円となり、従前の賃料額と比較すると、昭和六一年五月以降坪当たり月額金八九六七円であるから約38.1パーセント(年平均約9.5パーセント)の増額となる。

四適正賃料額について

右の三では本件鑑定の結果を前提として、改装費に関する数値のみを〇とした場合、どのような鑑定内容になるかを検討したものであるが、ここで改めて本件の特殊事項も考慮して鑑定の具体的内容について、その相当性を更に検討すると、前記一で認定したように、本鑑定の採用した手法は一般に行われている適正賃料の算定手法であり、その前提となる数値は適正なものと認められ、改装費についてその金額の妥当性を考慮した上で原告の呈示金額を使用しており、前記のとおり、これが基礎価格の算定及び必要諸経費の算定に影響を与えている点を除けば、全体として鑑定内容に不適切なところは見当たらず、また両当事者からも指摘されていない。そして差額配分法については、通常、二分の一法又は三分の一法が採られるが、本鑑定では三分の一法が採用されており(二分の一法よりも三分の一法の方が実際賃料に加算される金額が少ないため、試算賃料額は相対的に低額となる)、また前記認定のとおり、積算賃料と比準賃料との間に開差があるが、低額の比準賃料を標準としていること、利回り法は前回合意時の利回り率を維持した上で必要諸経費を加算するために、改装費の影響が出易いのであるが、差額配分法の試算賃料に比べると低い結果となっていること、スライド法については、前回合意時を昭和六一年五月としている点は相当であると認められ、消費者物価・家賃指数を標準としているため、その後価格時点までの約四年間の純賃料の増加率が一五パーセントとされ、通常の上昇率からすると低率であるものの、本件改装費が必要諸経費等として考慮されているため、差額配分法や利回り法の試算賃料とあまり開差のない数値となっていることなどが認められ、以上によれば、鑑定では本件改装費を前提として試算されてはいるものの、前記二の改装に至る経緯などの特殊事情を考慮して、そのために不相当の増額とならないよう配慮されており、前記のとおり改装費をないものと仮定した場合でも相当額の賃料の増加をしなければ適正賃料には達し得ないことやその他諸般の事情を総合的に考慮すると、本件鑑定の結果は、本件の特殊事情を合理的に斟酌しても、その結論において相当なものということができる。

五賃料不足額の請求について

そして、弁論の全趣旨によれば、被告は平成二年七月分まで七万三〇一円に消費税を加えた七万二四一〇円を供託し、同年八月分からは従前の賃料額の二割増しの金額に消費税を加算した額にほぼ等しい月額金八万六八九一円を供託していることが認められ、その趣旨からすると、賃料額としての供託は平成二年七月分は金七万三〇一円、平成二年八月分以降は金八万六八九一円であると認められ(総額としての供託であり、内訳は明示されていないこと、平成三年一〇月以降は居住用建物賃貸については消費税が賦課されないことになったことなどを考慮すると、その総額を賃料額と解するのが相当である。)、そうすると、平成二年七月一日以降の本件建物の適正賃料額は月額金一〇万三三〇〇円であると認められるから、不足賃料額は、平成二年七月分については月額金三万二九九九円、平成二年八月一日以降本件口頭弁論終結時である平成四年二月三日までについては月額金一万六四〇九円となる。なお、被告は原告が本件ビルの持分一〇分の八を有しているに過ぎないからその賃料全額を被告に対して主張できないはずであると主張するのであるが、所有権侵害を理由とする賃料相当損害金の請求であれば格別、本件は賃料の確認及び確認された賃料と支払い(供託)賃料との差額の支払いを求めるものであるから、過半数の持分を有する原告は単独で本件建物の管理行為である賃貸行為をすることができることに鑑みると、原告は被告に対し賃貸人としてその全額の支払いを求めることができると解するのが相当であるから右被告の主張は理由がない。

第四結論

以上によれば、原告の被告に対する賃料確認請求は、平成二年七月一日以降月額金一〇万三三〇〇円であることの確認を求める限度において理由があるからこれを認容し、したがって、また平成二年七月一日から口頭弁論終結時である平成四年二月三日までの右賃料額と被告が供託することにより消滅した賃料額との差額である一か月当たり平成二年七月分については金三万二九九九円、平成二年八月一日以降については金一万六四〇九円の割合による賃料の支払いを求める限度において理由があるからこれを各認容し、その余の請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用はこれを二分し、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とし、賃料支払いを求める部分の仮執行宣言については賃料の確認と右差額の支払いは一体のものであるからこれを付さないこととし、主文のとおり判決する。

(裁判官大塚正之)

別紙物件目録〈省略〉

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